都会暮らしから一転、千葉での田舎のんびり暮らしをスタートさせました。
憧れの大都会と少し不便だけどゆったり。どちらの生活がいいいのか?
まずは「東京生活編」を振り返ります。
ミーハー心に従って専門学校卒業直後からひとり暮らし開始!
千葉で生まれ育って20年。「ヘアメイクアップアーティストになったら憧れの〇〇さんに会えるかも!」という割と安易に思える理由で美容師を目指し、無事に毎日2時間かけて通学していた都内の専門学校を卒業。何とか都内のサロンに就職が決まり…それを機に実家を離れて一人暮らしを開始。
そこからは「う~ん…こんなはずじゃなかったぞ」なことが続きます。
20年前の美容師業界はいわゆる3Kと呼ばれるブラック、薄給。
今でこそきちんと福利厚生があるサロンさんが増えているようですが、その時代は少ないお給料の中から当たり前ですが、年金と健康保険料を払って、余りのお金で生活費と水道光熱費・家賃を払い、それに加えてハサミなどの商売道具代を捻出しなければなりませんでした。
実家を出たばかりでお恥ずかしながら「少ないお給料でなんとかやりくりする」という意識も乏しいままに、夢だった都会での生活を後先考えずに謳歌していきました。
新宿のルミネでおしゃれな服を買ってみたり。
駒沢公園をおしゃれにサイクリングするための自転車を買ってみたり。
そりゃあもう、ひと月のお給料でいける?ってほど(今思えばそうでもなかったかもしれませんが、それほどにお給料が少なかったんです…)の計画性の無さで突き進んでいったのです。
学生時代に培ったアルバイト経験を活かして接客には自信があったはずですが、
自分でも知らない間に接客に加えて美容施術をするという高度なスキルを発動しなければならないプレッシャーで、知らない間にストレスが溜まっていたのだと思います。
接客は楽しいしお客様とお話しするのはとても好きでしたが、それはあくまでも技術あってのオプションのようなもの。
もちろん、接客も技術のひとつ。
おろそかにしてはいけない部分ではありましたし、まだ技術も何もないアシスタントだからこそ頑張ってはいましたが…
接客に意識を向けすぎると手が追い付かず。心と体がばらばらになりそうなのを何とか耐えながらの日々でした。
結局、スタイリストにはなったもののなかなかお給料も上がらず。
(※この時になると就職先のサロンの形態がどうとかよりは、自分の集客能力の無さで売り上げが上げられなかった…)
美容師としての生活は7年半で幕を閉じることに。
憧れのあの人にも会えずじまい。
ただ幸いなことに転職先はすぐに決まり、結果的にお給料は美容師時代から10万円ほどアップしました、…が。
ここから10年続くことになる企業ライター時代は、私にとって良くも悪くも「都会の生活」のメリットデメリットを痛感させられた時間だったなあと…。
Uターンで千葉の生活をし始めた今だからこそ、東京での生活を俯瞰して振り返ることができています。
毎朝の電車通勤に我慢の限界
7年半の美容師時代は、自宅から走って行ける距離にサロンがあったので電車通勤とは無縁でした。
就職のタイミングでひとり暮らしの家を決めるときに、「就職先に近いところがいいでしょう?」と提案してくれた母に感謝です。
(そう言われたかまでは覚えていませんが、何においても無計画無頓着な私ですからきっと母の提案でした。)
美容師を辞めてからの転職先は、自宅から約40分の場所にあり、毎朝2回乗り換えをして通っていました。
その後会社が移転することになるのですが、通勤時間が伸びて1時間に。
たった20分かと思うかもしれませんし私もそう思いますが…朝の20分は貴重ですよね。
20分早く起きるのも、20分早い電車に乗るのも毎日のことになると割と心と体につらい日々でした。
ちなみに転職後の仕事はデスクワークです。9時から19時までの10時間労働で、プラス往復の通勤時間で12時間。
それは何とか頑張れていたのですが…都内某路線での通勤時間が私にとっては結構こたえました。
激込みですし、数分の遅延は割と多い。皆さん急いでいらっしゃるので、譲り合いの精神はあまり感じられず…。
女性専用車を見つける余裕もなく、それまでは気にならなかった「人との距離感」や、「周りの人の挙動」が気になってしまうようになりました。
ああ、私疲れてるんだなあとは思いつつ。「仕事に行くためだ!」と思ったり。周りの人が普通な顔をしているのをみると、都会暮らしをするには普通のことで、こんなことを気にしているようではいけないのではないか、と私も普通を装ってみたりしながらの通勤時間を積み重ねていたんです。
ですが我慢の日々は長くは続かず、もともと千葉のゆったりした田舎で育っているからか、時間に追われているような感覚は拭えませんでした。休日にどこかに出かける時は何も思わないのですが、通勤時間帯の電車がどうしてもダメになってしまい…
気が付けば美容師をした7年半の時間を超えて10年間転職先に勤めた私は、フリーランスへの独立を決意。
「辛い思いをしてまで続けている通勤時間も実働時間にできたら有意義なのではないか…!」
と、これまた安易な思い付きに思える理由(もう少し細かい理由もたくさんありつつ)で退職し、実家での、のんびり暮らしが始まりました。
都会暮らしのよいところ、好きなところ
結局は田舎暮らしを選んだのですが、都会での暮らしは便利で楽しいことがいっぱい。
欲しいものがあればすぐ近くにお店はあるし、渋谷までも近い場所だったのでスクランブルスクエアやヒカリエは会社帰りにもよく寄っていました。
大好きなjohn masters organicsもあるし、話題のスイーツ屋さんも行列ができるパン屋さんも割とすぐに行ける距離にあります。
SNS時代ですから、インスタで話題になっていると「今度行ってみよう~☆」と心を弾ませて休日の楽しみにできましたし。
徒歩圏内だったサロンへの行き来の時よりは、転職してからのほうが格段に出会いも増えて、恋愛もいくつか経験しながら。
仕事に恋愛にと本当にいろいろな経験をさせてもらいました。(苦い思い出もたのしい思い出もいろいろと…笑)
あとは、ネットで頼んだものが届くのが早かったり、出会う人の幅が広がったのが今振り返ると本当に貴重な経験だなあと思います。
成人してからの上京なので、サロン勤務時代は帰り道にあるバーに飲みに行って。
そこではテレビ局勤務の人やフリーランスの方も多かったですし、大学に通いながらバーのお手伝いをしている人もいましたね。
転職先にもいろいろな経験をしている方がいて、多かったのは役者やバンドマン。
業種がライター業だったことも関係していたのでしょうけれど、芸大出身で映画を勉強していた人もいたし、もともとミーハーな私はそういった環境に身を置いているだけで東京に出てきた意義のようなものを感じてしまっていたんですね。
このだいぶ後に「自分が何を成し遂げるかが大事なんだ」という非常に根本的なところに気づくことになります。
こちらについては、もしかしたらブログに書くことになるかもしれませんし、ならないかもしれません。
ただ、私としては大きな転機になる気づきだったことは間違いないです。
都会での生活を18年間してみて、欲しいものがすぐに手に入れられる環境・便利さだったり。
新しい出会いが沢山あることや、ライター業はITベンチャー企業だったこともあり。
毎日新しい提案、仕事のそもそもの進め方の変化や、挑戦しなければならないことも毎日のこと。
「刺激的」という言葉は少し今の私には若い気がしますが…
自分が何かを発信しなくても毎日変化が起きて、やるべきことが飛び込んでくる。
そんな毎日の中では、「自分にとって本当の学びや価値・身についているスキル」みたいなものの存在を、自ら追及する必要がなかった、というか追及しなくなってしまっていました。
ライター業をしながらも資格の勉強などはできたはずでしたが…
なにせミーハー心が歳を重ねても根底にあるものですから、刺激的な毎日の中に自分を埋もれさせてしまっていた、なんて言い方は詩的でかっこいいですけれど、まあつまりは自分磨きができているようで出来てなかったのだと思います。
美容は好きですし、新しいコスメが出ればそれなりに気になって自分へのご褒美に買ってみたりはしていたものの。
それも、あくまでも誰かから与えられているもので、自分で生み出したものじゃないんだなあと。
哲学的?に人生を見つめなおすようになってから、フリーランスになる決意をしたんです。
東京に出る理由だった「美容師として頑張る」という夢は無事に叶えた(?)ものの。
結局挫折をして業種の違う会社に入り、ベンチャー企業の忙しさに身をうずめながら過ごした10年間は、私にとって何を学んで何を得た時間になったのだろうか。
それを、これからの田舎暮らし。フリーランスになってからの仕事ぶりのなかで見つけられたら最高だなあと思いつつ。
周りに質問してくれる後輩も、質問できる上司もいない中でのゆったり、のんびり生活をスタートさせたのでした。
*次回は、「田舎暮らし編」について書きたいなと思っています。